江戸時代の宝永、正徳年間と言えば、徳川綱吉、家宣が将軍を務めていた時代ですが、その頃から大阪の堂島で米相場が開かれていました。
享保の時代に入り、幕府の公認を受けて堂島会所が開かれ、近代的な商品先物取引の始まりとなったと言われています。
相場と聞くと賭博的なイメージを抱きがちですが、当時は米が貨幣的な役割も担い、商品としてよりも流通貨幣としての側面を強く持っていました。
その後、1939年戦時下の経済統制によって米の先物取引は廃止され、戦争終結後も政府の管理下にありましたが、何と72年ぶりに2011年8月に試験上場と言う形で復活しました。
東京穀物商品取引所が平成25年2月5日をもって全ての立会を終了した為、米穀については、大阪堂島商品取引所が受け継ぎ国内唯一の取引所となっています。
その他の穀物については東京商品取引所に移管され、農林水産省は同取引所の要請に基づき、試験上場を2年間延長することを正式に発表しました。
これまでの取引内容を調査し、価格の高下で生産流通に支障が出る恐れがなく、商品先物取引法の基準を満たしていると判断した結果です。
売り手と買い手が将来の一定時期での売買契約を予め取り交わし、現物の受け渡しや反対売買の差金決済で契約を終える仕組みで、生産者、流通関係者、消費者にとっても収穫後の価格下落や高騰などの価格変動のリスクを回避する効果が望めます。
現在、大阪堂島で関東産と北陸産のコシヒカリを標準品として先物取引が行われていますが、本上場に向けてなお一層の取引量の拡大が課題となっています。